2006/09/04

遠野をゆく

夏休みを利用して、岩手県へ旅をした。

三陸海岸を北から南へドライブし、遠野、花巻、平泉と、岩手県ならではの名所を巡った。岩手県は、子供の頃からいろいろな本やマンガで見るたびに、憧れを募らせてきた場所だ。
小学生の頃に本で見て、一度実物を見てみたかったリアス式海岸。
『注文の多い料理店』『どんぐりと山ねこ』『グスコーブドリの伝記』などが思い出深い、花巻の宮沢賢治記念館。
高校の日本史の教科書で見た、平泉のきらびやかな中尊寺金色堂。
どこも、ずっと前から訪ねてみたかった場所ばかりだ。

その中でも感動したのが、マンガ『うしおととら』を読んで以来、必ず訪ねたいと思っていた遠野だった。
遠野といえば、民俗学者であった柳田國男が、その地の民話を収集した『遠野物語』で有名だ。長い間語り継がれてきた民話の数は、実に120を超えている。

遠野では、民話を語って聞かせてくれるところがいくつかある。
現地のおばあちゃんが、遠野の方言で、昔語りをしてくれるのだ。これを聞くのも、今回の旅の目的のひとつだった。東北の方言は、私にはやや聞き取りづらいところもあったが、何とか話の筋を追うことができた。
私が聞かせてもらったのは、「かっぱ淵」の話と、「母也明神」の話だった。
どの民話も、今も遠野にその場所が現に存在している話ばかりだということだった。

民話を聞いて思ったことは、いわゆる「日本むかしばなし」のような、ほんわかした雰囲気は全くないということだ。

たとえば、「かっぱ淵」の話では、昔は貧しかったために、どの子も十(とお)になるのを待たずに、お金持ちの家に前借金と引き換えに預けられ、奉公に出されていたこと。奉公先の主人が、「預かった子供がかっぱに襲われたかもしれないが、自分の子供ではないからかっぱに殺されようがどうでもいい」と考えること、そのかわり、「子供が連れて行った自分の馬は自分のものだから、馬の無事を確認しよう」とすること。人の子を殺したり、馬を殺したりしたかっぱを殺すため、近所の人が手に手に刃物を持って集まったこと。

また「母也明神」では、目の見えなくなった母親の巫女が、ひとり娘と仲良く暮らしていたが、婿をとってからというもの、娘からないがしろにされているかのように感じ、ひがみから婿を人柱に選んで殺してしまったこと。婿とともに人柱を志願した娘が家に帰ってこず、そうとは知らない母親の巫女が、目が見えないために、娘がどうなったのかわからず心配したこと、など。

民話であるのに、おばあちゃんの語りはリアリティを感じる部分が多いのだ。つい昨日起こったかのような、「生きている」話なのだった。

私がここで、文字でその物語を書いたとしても、その「話が生きている」感覚はとても伝えられないが、その後、伝承園というところにいったとき、「話が生きている」感覚の「もと」を垣間見た。
ここには、「オシラサマ」という神様が、倉の中に壁一面、1000体以上祭られている。
「オシラサマ」というのは、木彫りで、馬の顔をしたものと少女の顔をしたものの2対で1組となる神様で、胴にはおひなさまの着物のように、布がたくさん巻きつけてある。
これにももちろん、馬と少女の悲恋の民話があるのだが、何より驚いたのは、このオシラサマを祭っている家が遠野にはたくさんあり、中には、四つ足の動物を食すと呪いがかかるという言い伝えを守って、今でも動物を食べない家があるということだった。

今でも、遠野において伝承は伝承でなく、今そこにあるものなのだ。
おばあちゃんが語ってくれた話は、「リアリティのあるお話」ではなく、紛れもない「リアル」だったのだ。

日本の田舎の習俗というのは、暗く陰鬱なものが多いことは知っていた(私の友達の田舎ちかくでは、今でもリアルに「村八分」が行われる)が、それは知識として知っていただけで、これほどリアルにその凄みを感じたのは初めてだった。
遠野には、田んぼと山と川と、時折ある民家のほかには、何もない。冬になれば、雪にすべて埋もれて凍ってしまい、音もなく、楽しみもなく、日の光も弱く、ただ寒さをやり過ごす。
何もないところ、そこで果たして何が力を持つか?そこでは、そこに住む人間の行動や、習俗、談話が、私が想像するよりもはるかに重大なものになったのだろう。その重みが、今も語り継がれる民話に、そのままのしかかっているのだろう。

機会があれば、遠野をもう一度訪ねてみたい。
今回まわり切れなかった民話のある場所を、今度はゆっくり巡ってみたいと思う。



オシラサマ。わかりにくいけど全部オシラサマ。



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