2006/08/12

消えた百物語

夏といえば怪談だが、日本で昔からある怪談話の方式として、「百物語」がある。
一人一話ずつ怪談を話してゆき、一話語り終えるごとに火のついたろうそくを1本消す。百話を話し終えたとき、その場で怪異な現象が起こる・・・といわれている、あれだ。

私が学生だった1997年、日本の中世文学(大雑把に言って鎌倉時代あたり)がご専門の先生が開講された「言談」という文学について講義を受けたことがある。「言談」というのは、公の行事などの正式な場ではなく、夜に食事の後などで雑談をする雰囲気で話された話題を、その場にいた人や、人づてに伝え聞いた人が書き記したものだ。
印刷技術が未発達であった時代には、文献とは別に、口伝というものが非常に重要であったのだろうと思う。

私はその講義のレポートで、近世(江戸時代)に刊行された『諸国百物語』について書いた。百物語は人が語ったものを集めたものだから、「言談」のひとつとして解釈できるだろうと考えたのだ。
そして、私がそのレポートで「百物語」をテーマとして取り上げたのには、もうひとつ理由があった。
それは、1997年当時、一般家庭にようやく普及し始めていたインターネット上で、百物語を主宰していたサイトがあったからだ。

そのサイトの名前は「バーチャル百物語」。
現在よく見られる掲示板方式ではなく、管理人がメールなどで受け付けた実話怪談の中から少しずつ掲載していくという方式を取っていたサイトだった。特徴的だったのは、開設当初から、「百話を蒐集した段階でサイトは閉鎖する」ということが宣言されていた点だ。
1年以上かけて、百話を集めた後、実際にこのサイトは「目的を達した」という理由で閉鎖された。
閉鎖されてからしばらくは、URLに飛ぶと閉鎖のあいさつが表示されていたが、今ではそれも表示されていない。

私は前述のレポートで、この「バーチャル百物語」を「現代の言談、新しい言談のかたち」として紹介した。手元には手書きのメモとして、「バーチャル百物語」のURLや序文の写しなどがまだ残っている。今でこそ、インターネットは誰でも情報を発信できる」場として認知されているが、当時はまだ個人が発信できるメディアという意識はほとんどなかったように思う。そんな時代に、方向性をしっかり持ち、最後まで目的からそれずに運営した点は見事であったし、厳選された怪談の質も高かったように思う。

今では、インターネットで百物語をやろうと思ったら、わざわざサイトを開設しなくても、レンタル掲示板などで簡単に実現できるし、怪談の集まるスピードも、10年前の比ではないだろう。
しかし、「バーチャル百物語」の運営に見た「丁寧さ」(「丹念さ」といったほうがいいだろうか)、百話蒐集後に閉鎖にいたった「ブレのなさ」、それらがすべて、テキストベースであるにも関わらず、暗い部屋で一人一人が怪異を語り、ろうそくの火を消していくという、異様な「百物語」の雰囲気を閲覧者に感じさせていたのに比べると、やはり「軽い」感じがしてしまう。

あのサイトが閉鎖されてしまったのは、今でも非常に惜しい。
できればもう一度見てみたいと思うが、それはきっと永遠にかなわないことだろう。

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