2008/07/07

文学作品と表紙

ちょっと前に、DEATH NOTE の作画で知られる小畑健氏が、太宰治『人間失格』の表紙を描いて話題になったが、続報ともいえるニュースを見つけた。

“不朽の名作”ד人気漫画家”今度は『ジョジョ』作者が『伊豆の踊子』の表紙を描き下ろし - ニュース-RANKING NEWS

こういう印象的な表紙って、文学に対する読者の解釈にどれくらい影響するものなんだろう?
特に『こころ』の表紙を見て、そう思った。とてもメッセージ性の強い表紙になっていると思う。
この表紙自体が、作品のひとつの解釈を与えているように思った。
でも、その分、読者に手にとってもらえる本になったことはいいことだと思う。
文学は読まれるために書かれたのであって、どんなにいい作品でも読み継がれなければやがて死んでしまうからだ。

表紙とはちょっと違うけど、ねこたんが子供の頃、読んでいる本の文中に思い出したように時々はさまっている挿絵を見て、なんとなく「余計な感じ」を受けていたことを思い出した。子供の頃はものすごい集中力で本を読んでいたので、自分の頭の中と本の中の世界がリンクしていた。そこへ急に他人の世界が入ってきたように思って、邪魔されたように感じたような気がする。
今でも、挿絵が入っていない本のほうが好きだ。あの頃より集中力は落ちたけど。。。

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